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遺産相続人 33

 あんな場面に遭遇したあとでは、ガブリエーレがアポイントに応じるとは思わなかった。だが、ホテルに戻ったクリスティンには、そのガブリエーレからの伝言が残されていた。

 翌日、指定された場所へ向かいながらも、クリスティンは疑念と不信に囚われていた。
 デイヴィッドと既に交流のあるガブリエーレが、クリスティンとの契約を結ぶとは思えない。それとも、デイヴィッドが昨夜一緒だったのは偶然なのか。いえ、これ以上重なる偶然など……ことデイヴィッドに関しては、あり得るはずがない。
 何よりも、情報リーク以来、全てがこちらの思惑から外れてばかりいる。
 クリスティンが密かに動かしていた私立探偵は、結局連絡が取れないままだった。デイヴィッドがどう始末をつけたのかはわからない。大方大金を積まれてどこかへ隠れたか、後ろ暗いところを掴まれて逃げ出したかのどちらかだろう。
 手足をもぎ取られ情報を得られないまま、クリスティンは会見場所に着いた。

 そこは、ニューヨークでも指折りのテキスタイル専門のアトリエで、如何にもガブリエーレがいそうな場所だった。
 そして、予め知らされていたのか、クリスティンの到着を待ちかねたかのように、秘書らしき女性が歩み寄ってくる。その女性に言葉もなく案内され、クリスティンも特別声をかけるでもなく従った。
 静かにエレーベータは階上へとあがり、ショップや工房の在る下層階を遥か下に見下ろす最上階で止まる。そこは重役専用のフロアらしく、床にはカーペットが敷かれていた。いくつか並ぶ部屋のドアには、鈍色のプレートが貼られている。
 そして、一つだけプレートのないドアの前までくると、秘書が軽くドアをノックし押し開けた。中に促されたクリスティンは、躊躇うことなく歩をすすめる。
 ドアは、背後で廊下に残った秘書の手で閉じられた。

 そこは、重厚な家具が揃えられた重役室で、いささか時代がかった古さが感じられた。先進のデザインを旨とする企業でも、組織が古ければこのようなものかと、センスに欠ける部屋を見渡す。
 それから、最初から視界に入っていたこの部屋に唯一存在している人物にも、家具を見るのと同様の視線を向けた。
 そのクリスティンの視線を無造作に受け止めたのは、デイヴィッド・ロクシー。

「ごきげんよう。またお会いしたわね」
 ガブリエーレとの約束のはずなのに、デイヴィッドがいる。そのことを今更尋ねるつもりはない。これがデイヴィッドのやり方なのだとしたら、その術中にまんまとはまる気はなかった。
「嬉しいかと聞かれれば、そうではないと言うしかないだろうね」
「呼んだのはそちらよ、嫌なら帰りましょうか?」
「そうはいかないだろう。まあ、座りたまえ」
 ソファの一つに腰を下ろし、おもむろに尋ねた。
「で? 何かしら?」
 窓際を離れたデイヴィッドが、手にしていた新聞をクリスティンの前にポンと置いた。
 それは、先週の日曜日の朝刊。カラー刷りで一面にデイヴィッドとあの女の写真が掲載されている。
「君が気付かなかったとはな」
「……?」
「少し、度を超してしまったようだな」
「何の事かしら?」

「小賢しい真似をしなければ、もっと楽に仕事ができるだろうに」
 その言い方には、酷く冷たいものが含まれていた。

 デイヴィッドの言葉を聞きながら、クリスティンは新聞を睨みつけた。
 モデルさながらに洗練されたデザインスーツを着こなしたデイヴィッドが、パウダーブルーのオフショルダーのカクテルドレスをまとったカリーナ・ヘンリクスを大切そうに抱き寄せている。これが赤の他人ならば、ただ受け流してしまえるものを……。
 わざわざ一番大きく写真が掲載されていた一紙を見せつけるなんて。

「これが何か?」
「その眼は、本当に欲で曇ってしまったのか?」
「だから……何を言っているのか全くわからないわ」
 一瞬、激昂しそうになり、どうにか思いとどまる事ができた。

「私が着ているのはガブリエーレのコレクションだ」
「……」
「本当に気付かなかったようだな」
「まさか……」
「これは警告だった」
「……」
 まさか、そんなこと……。
 クリスティンがガブルエーレを追いかけていた事を、既に知っていたという事?
「君がリークしたと知った時、最早これまでだと覚った」
「すべて承知の上、ということね」
「そうだ。この写真を撮らせ、翌朝一斉に掲載されるように取りはからった」
「もし私が気付いていたら?」
「君はここに来なかっただろうな」
「そうね」

「だが、君はその警告に気付かず、ガブリエーレを追いかけてここまで来た。まあ、昨夜のレストランは予定外だったがね。おかげで予定を繰り上げる事になった」
「わかっていて、昨日ホテルに来たのね」
「君の行動は、把握している」
「そう」
「昨日も話したように、ロクシーの事業の広さは、君の想像を遥かに凌駕する。今まで何もなかったのは、こちらでコントロールしていたからだ」
 では、クリスティンの今日の成功もその恩恵だと言うのか。
「私は、私自身の力で成功したわ」
「当たり前だ。君をバックアップしたことなど一度たりとない」
「ありがとう」
「だが、抑えて来た事ならいくつもある。それも終わりだ」
「どうすると?」
「アマンダは亡くなった。子供達もそれを受け入れ乗り越えようとしている。君にはアビーをレスターと同じ目に会わせる力もない。大人しく自分の仕事だけに専念すればいい」
「そうしなかったら?」
「クリスティン、これ以上言わせるな」
「そう、貴方はいつでも私を潰せる。今まで寛大にも大目に見てくれたのはアマンダを守るため、子供達を守るためだった。そういうことね」
「そうだ」
「そして、貴方達だけが幸せになる、というわけ?」
「君も充分成功しているだろう」
「……こんな小さな成功で私が満足するとでも?」
「君が何を望もうと、自由だ。だが、ロクシーは渡せない」
「貴方にも欲というものがあると知って喜ばしいわ」
「勘違いするな。ロクシーは、子供達に渡す為に守る」
「まだ子供よ。事業を背負えるようになるまでには早くとも十年かかるわ。それもとびきり優秀な場合にかぎりね」
「君だけがロクシーの帝王教育を受けたとは思わないほうがいい」

 その言葉にぎくりとした。改めて冷たいものが背筋を這う。デイヴィッドは、本当に何でも知っているのか。それとも……。

「祖父は、当時副総帥だった君のお祖父さんが何を企んでいるのか承知していた。もちろんこれはレスターから聞かされた事だ」
「そう」
「無意味な事はするな。成功したければ、君に相応しいところで成功したまえ」
「自分の鳥かごから出るなと?」
「そうだ」
「断ったら?」
「喜んでお相手しよう。但し、以前と同じ意味ではなくね」
「主旨は理解したわ」
「そうだといいが」
「私からは話す事もないのだから、帰らせて頂くわね」
「まっすぐ空港へ向かう事を進める」
「どこへ向かおうと私の自由よ」
「その通りだ」
「では、ごきげんよう」
 部屋を出ようとしたクリスティンに、デイヴィッドが背後から声をかけてきた。
「最後にもう一つ」
 クリスティンは振り返らなかった。
「ここを会見場所に選んだのも、警告だ」
 振り返る事が出来なかった。振り返れば、あの時と同じ冷酷な視線に晒されるだけ。

 廊下には、先ほどの秘書が待ち構えていた。まるでクリスティンが真っ直ぐに帰るかどうかを監視するかのように。そして、その秘書が、クリスティンをエントランスまで案内する。
 なぜこのような屈辱を甘んじて受けなければならないのか、わからなかった。いえ、わかってはいた。けれど、到底容認できるものではない。それでもデイヴィッドの最後の言葉が背中を冷たくする。

 三年前、いえそれ以前に、レスターがデイヴィッドに全てを託すつもりでいる事は承知していた。
 クリスティンの計画は、常に様々な邪魔ばかりが入る。
 一番邪魔だったのはアマンダ。そして、レスターが後継と目して選んだリチャード。そのリチャードが外れた後、クリスティンの邪魔をしたのが兄であり母だった。
 謂れのない痛手を被り、クリスティンには苦しい戦いになった。それでも着実に駒をすすめ、立ち上げたビジネスが思いのほか順調に滑り出した直後、頭角を現したのがデイヴィッドだった。
 デイヴィッドは自分の父親の会社を管理しながらもレスターの補佐につき、その実力は直ぐにロクシー一族に認められるところとなった。
 クリスティンは、そんなデイヴィッドと争うよりも取り込む方が得策と判断して行動に移した。そしてあっさりと、退けられた。
 自分の容姿がいかに注目されるか、良くわかっていた。だからこそ、それを最大限に利用はしても身体で仕事を得たことはない。常に頭脳プレイで勝ち取って来た。それなのに、デイヴィッドは一瞬でそれを貶めた。
 あたかも、これまでのクリスティンの成功が身体で得たものであるかのように振る舞った。そして、たった一度も触れることなくドアは閉じられた。

 あの屈辱が蘇る。

 頂点を望んで何が悪いというのか。
 私には、それを望める能力があり、裏付けがある。
 でも、誰もそれを是とはしない。
 敗北を認める事はできない。でもまだ、力が足りない。
 今は、まだ……。


(2008.06.28)
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